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COARA---コアラとは

 「コアラ」は1985年5月発足した地域運動のグループである。

2005年5月に満20歳を迎えたが、当時大分県知事の平松守彦知事が提唱した「一村一品運動」の情報化版地域おこしとして始まった。

「一村一品運動」というと、農産物や加工品が有名だが、その頃電気工事会社の常務取締役をしていた私が今さら農産物をつくるのは不可能に近い。しかし我々若手経営者層を中心に平松知事の声に呼応して「地域おこしをしたい」、「大分にいることを楽しみたい」、「街中で何かできることを探そうじゃないか」といった思いが膨らんでいった。そこで本来コンピュータが専門だった私は、友人や仲間に声をかけ、コンピュータと電話線を使い、人とコミュニケーションをするといった事を考え始めたのだ。しかし当時は、今では想像もつかないだろうが電話とコンピュータを勝手につなぐことは法律で禁止されており、それが1985年、NTTが民営化、株式会社化され、同時にコンピュータと電話線をつないでよいという制度に変わった。そんな時代背景を受け、やってみようじゃないかと手探りの第一歩を踏み出したわけだ。

当時、アメリカではおぼろげながらコンピュータと電話線をつなぐ新しい世界が見え始めていたものの、はっきりとした先が見えないまま私は一歩を踏み出したのだが、何が起こったか。

今はインターネットがあるから当たり前だが、コンピュータのネットワークの中に、例えば「私は大分に住み電気工事会社に勤めている」と書く。すると東京のAさんが「私も電気工事会社に関係している」と書いてくる。それまでは例えばテレビにしても東京からの放送を受け取るだけだった。つまり東京が主人公。地方はいつも受け手。学校に行っても、先生の授業を受けるだけ、生徒は聞くだけといったようなもの。話す側と聞く側がはっきりわかれていたのが、このようなコンピュータネットワークができたおかげで、パソコンと電話線がある人はどこからでも自由に発言でき、見る人は自由に見ることができる。しかも自分の都合のよい時間に発言でき自分の都合のよい時間に見る事ができる。普段だとなかなか話しかけられないような偉い人にも声を発することができる。これは当時としては非常に画期的な事だった。インターネットの前身である。

平松知事もコアラに即座に入られたが、高校生が自分の家の前の終バスをもっと遅くしてくれとかメールする。すると、平松知事が都合のいい時に見て検討する。普段だと絶対に話しかけられない人に話しかけ、かつ常に聞く側だった人に返事が返ってくる。つまり双方向のコミュニケーションが発生してきたのだ。返事が返ってくるということはある意味、自分自身の存在が認められるという嬉しさになる。私は団塊の世代であって大人数の中で生活した関係上、それまで名無しの権兵衛、その他大勢の一人という感覚が強かったが、地域にいても「こんなことをやっている」というと「それは面白い」とか、時には「そんな馬鹿な事やってるのか」とからかいながらも、存在を認めてくれる。これはとても勇気のわく事だった。すると他の人の発言にも返事をしたくなってくる。そして一対一のお互いが認め合う社会ができ、世の中を肯定する社会になる。つまりはお互い同士の存在を肯定しあう社会ができ、そこには人間の明るさがでてくる。電話線とパソコンさえあれば、人と人が信頼しあえるようになる、ネアカになるんだと。それが1985年5月に「ネアカ、ハキハキ、マエムキ」というキャッチフレーズでスタートしたコアラだ。会長は現臼杵市長の後藤国利氏(当時は青年会議所のリーダであり若手県議会議員)で、約30人ぐらいが集まり一人千円づつ出しあいつつ、大分市のソフトパークにある情報センターで始まった。

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