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ついにインターネットへ,“one person one homepage”運動

 パソコン通信の原型が1985年にできたが、俗にいうインターネットが19947月、大分のコアラでも始まった。これは199312月に始まった東京に次いで全国で2番目だ。地方では最初だった。当時、我々がインターネットにつなぐと、英語のホームページばっかりで、それも大学の研究者のものか大企業の研究所のホームページぐらいしかなかった。今では当たり前になっている日本語のホームページなどほとんどなかった。「日本語で書いていいのだろうか」と本気で心配したりした、今では冗談のように聞こえる。

しかし、果敢にコアラメンバーが挑戦し、「アップルコンピュータは、“one person one computer”、平松知事は“one village one products”、我々は“one person one homepage”」と称して個人がホームページを造るのが当たり前という動きとなり、大いに賑わった。

当時、NTTは「NTTは電話交換機屋であって、インターネット屋ではない」という企業方針の元でインターネットに対して抵抗感を示していたが、一部幹部には「そうだろうか」という疑問を抱き始めていた人もいた。そしてコアラのメンバーが「楽しんでいる世界」を目の当たりにすると「未来の情報社会、インターネットをやりたいので協力してくれ。共同研究者を公募するから立候補してくれ」といってきた。そこで24時間365日常時接続できるインターネットが欲しい。安く定額使える社会を使える社会をつくろうじゃないかと。いわゆる「情報コンセント構想」[i]で応募した。

また、このような事をやっているのは大分しかなかったので、1995年の夏だっただろうか、通産省から呼び出しがかかった。NTTの話が起こる数ヶ月前の事だった。

「8億円出すから何かしてくれないか。インターネットで何か新しい事をやって欲しい。インターネットの事がわかっているのはあなたの地域しかない」。

8億円の予算を組んだので何か新しい事をやってくれという話だった。しかし何をつくっても維持しなければならない。維持費を考え慎重になっていると、「中小企業データベースという昔からのシステムがあるので、それをインターネット型にかえなければならない。変えるのに毎年1億円あげよう。つまり5億円5年間あげればそれで維持できるだろう」と。そこで平松知事に相談すると即座にやれと。加えて郵政省にも協力してもらおうと郵政省に2.4億円出してもらい、結果的には総額2425億円かけて大分の新しいインターネットの初歩的なシステム、データセンターやインターネット放送スタジオ、地域型光ファイバー接続等を一気につくった。結局、今でいうNTTのアクセスポイントも全国に先駆けて全県にできてしまった。それらを使って第二次豊の国ネットワークがインターネット型として再構築されたわけで、1996年から97年に掛けてのことだった。

しかし、多額の投資投下がなされている以上、実際の構築はまだまだわかっている人が少なくナイフの刃の上を歩く思いだった。当時のNTTは、インターネットに関してわかる人はいても組織的に確立されていなかったので、打ち合わせに出席すると1:50、話すのは2,3人だが研究所の人たちが50人出席していて、今思い出しても非常に“不気味”だったが、しかしその人たちが日本のインターネットをつくっていったわけで、日本のNTTのインターネットの夜明けといっても過言ではないだろう。

 COARAスタートから20年、毎回毎回、「産みの苦しみ」の中でもがき溺れそうになりながらも、そのたびに新しい事にチャレンジしつくりあげていく面白さと意義を多いに感じる一コマだった。


[i] 地域に情報コンセントを!
http://www.coara.or.jp/coara/common/hyper/jyohoconsent.html
を参照

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